高円宮憲仁親王妃久子さまは、鳥取滋治郎さんと鳥取二三子さんの長女として、東京都港区白金にある邸宅で生まれました。
鳥取家は香川県三豊市豊中町の旧家で、久子さまの祖父・鳥取治郎八さんは農業を営みながら、仁尾塩田や讃岐煉瓦各会社の取締役を務めました。
久子さまの父・鳥取滋治郎さんは東京帝国大学法学部を卒業後、三井物産や東邦物産などで海外業務に携わりました。
久子さまの母・鳥取二三子さんは友田二郎さん(外交官・宮内庁式部官)の長女で、フランス語婦人会(ALF)で事務局長や会長を歴任。
久子さまは、聖心女子学院やケンブリッジ大学で学び、翻訳会社に勤めた後、1984年に高円宮憲仁親王と結婚されました。
この記事では、高円宮憲仁親王妃久子さまのご実家・鳥取家の歴史と白金の邸宅について詳しく紹介します。
鳥取家の起源と系譜
香川県三豊市豊中町に根付く旧家
鳥取家は、香川県三豊市豊中町にある旧家です。
鳥取家の祖先は、江戸時代に讃岐国に移住した曾我祐邦さんという人物。
曾我祐邦さんは、曾我氏の末裔で、徳川家康の家臣でした。
曾我祐邦さんは、讃岐国で農業を営みながら、地域の発展に貢献しました。
鳥取家は、曾我祐邦さんの子孫として、代々豊中町に住み続けています。
鳥取治郎八さんとその子孫たち
鳥取治郎八さんは、久子さまの祖父で、鳥取家の当主でした。
鳥取治郎八さんは、農業を営みながら、仁尾塩田や讃岐煉瓦各会社の取締役を務めました。
鳥取治郎八さんは、妻・ヒサさんとの間に四男四女をもうけました。
そのうちの長男が久子さまの父・鳥取滋治郎さんです。
鳥取滋治郎さんは、東京帝国大学法学部を卒業後、三井物産や東邦物産などで海外業務に携わりました 。
鳥取滋治郎さんは、友田二郎さん(外交官・宮内庁式部官)の長女・二三子さんと結婚しました。
二人の間には、久子さまと弟・滋樹さんが生まれました。
曾我祐邦さんとその子孫たち
曾我祐邦さんは、鳥取家の祖先で、曾我氏の末裔です。
曾我氏は、平安時代から戦国時代にかけて活躍した武士の一族で、源頼朝や北条氏と関係がありました。
曾我氏は、特に曾我兄弟の仇討ちで知られています。
曾我祐邦さんは、江戸時代に徳川家康に仕えていましたが、関ヶ原の戦い後に讃岐国に移住しました。
曾我祐邦さんは、妻・ヨシさんとの間に五男四女をもうけました。
そのうちの次男が鳥取家の初代・鳥取祐邦さんです。
鳥取祐邦さんは、農業を営みながら、地域の指導者として尊敬されました。
白金の邸宅とその周辺環境
邸宅の建築様式と特徴
白金の邸宅は、東京都港区白金台にある洋風の建物です。
邸宅は、鳥取滋治郎さんが三井物産の社員としてイランに赴任した際に、現地で見た建築物に感銘を受けて、帰国後に建てたものです。
邸宅は、レンガ造りで、屋根には青いタイルが敷かれています。
邸宅の敷地面積は約1000平方メートルで、庭にはバラやツバキなどの花が咲いています。
邸宅は、高円宮家の所有となっており、現在も久子さまや憲仁親王さまが時々訪れています。
邸宅で育った久子さまの幼少期
久子さまは、1953年7月29日に白金の邸宅で生まれました。
久子さまは、幼少期から英語やフランス語に親しみ、両親や祖母から多くの教養を受けました。
その後、聖心女子学院初等科から高等科まで一貫して通学。
学校では成績優秀で、音楽や美術にも秀でていました。
久子さまは、友人たちとも仲良くしており、クラス委員や生徒会長などの役割も果たしました。
白金地区の歴史と文化
白金地区は、東京都港区にある高級住宅街です。
江戸時代には武家屋敷や寺社が多く立ち並んでいましたが、明治時代以降に外国人居留地や洋館が建てられるようになりました。
日本と西洋の文化が融合した独特の雰囲気を持っており、多くの文化人や芸術家が住んだり活動したりしています。
高円寺や白金神社などの歴史的な建造物や、東京都庭園美術館や白金高輪ゆかりの文化財展示館などの文化施設があります。
久子さまの学歴と職歴
聖心女子学院での学び
久子さまは、1953年に白金の邸宅で生まれた後、聖心女子学院初等科に入学されました。
聖心女子学院は、カトリックの精神に基づいた教育を行う名門校で、多くの皇族や貴族の方々が卒業されています。
久子さまは、学校では成績優秀で、音楽や美術にも秀でていました。
特にピアノやバイオリンの演奏が得意だったそうです。
高等科では英語科に所属し、英語のスキルを磨きました。
英語科では、英語だけでなく、フランス語やドイツ語などの外国語も学びました。
久子さまは、友人たちとも仲良くしており、クラス委員や生徒会長などの役割も果たしました。
その後1972年に、聖心女子学院高等科を卒業されました 。
ケンブリッジ大学での学び
久子さまは、1975年にケンブリッジ大学ニューナム・カレッジに入学されました。
ニューナム・カレッジは、1871年に創立された女性のためのカレッジで、教養や科学の分野で優れた教育を提供しています。
久子さまは英文学を専攻し、シェイクスピアやチョーサーなどの作品を研究しました。
英文学の勉強だけでなく、歴史や哲学などの幅広い知識も身につけました。
ケンブリッジ大学では多くの友人と交流し、イギリスの文化や歴史に触れる機会もありました。
特にロンドンやオックスフォードなどの名所を訪れたり、劇場や美術館などを楽しんだりしました。
その後、1978年にケンブリッジ大学を卒業されました 。
翻訳会社での勤務
久子さまは、ケンブリッジ大学卒業後、東京に戻り、翻訳会社に勤められました。
翻訳会社では、英語とフランス語に堪能な久子さまは、ビジネスや法律などの分野で翻訳を行いました。
優秀な翻訳者として評価されるとともに、同僚やクライアントからも信頼されていたそうです。
久子さまは翻訳会社で働きながらも、自分の興味や趣味を追求する時間も持っていました。
特に旅行や読書が好きでした。
1984年に高円宮憲仁親王と結婚されるまで、翻訳会社で働かれていました 。